昨日は持病の悪化で病院にお世話になって、薬が効きすぎて書けなかったのですが、神戸で生まれ育って震災を経験した者としては書かずに通り過ぎることはできません…。

当時の様子は、皆さんが報道などでご存じの通り、「これが神戸…」というものでした。

とても寒い朝で、突き上げるような縦揺れの後に大きな横揺れで、寝ていた私は何が何か分からないまま、とにかく布団に潜り込んで納まるのを待ちました。

そっと布団から顔を出すと、部屋の中はぐちゃぐちゃで、いつも座っていたところには本棚が倒れ、足の踏み場もない状況…。

まったく理解ができず、真っ暗な中の両親の「大丈夫か?」の声に、「これはただ事ではない」と感じました。

電気、ガス、水道は止ったまま、出勤しなきゃ…と思って外を見てみたら、いろいろなものが倒れて道じゃない状態で、電車も止っているという情報が入ってきて、それでも何も分からずに家で余震におびえながら過ごしていました。

その後、ラジオで地震があったことを知り、当時神戸市職員だった父は震災対策本部に入るために何時間も歩いて三宮に行き、私と母で毛布にくるまって、崩れていない天井の下を見付けて非難。

電話も通じない、何が起ったのかも分からない、当時は携帯もなくて情報も入ってこず、何時間か経ってからやっと電気が付き、テレビを見ると信じられない光景が飛び込んできて、言葉が出ませんでした。

あのとき、何を食べてどうやって過ごしていたのか、もうほとんど覚えていませんが、とにかく毎日が必死でした。

知り合いが行方不明だったり、亡くなったり、そして何よりも生まれ育った大好きな神戸の街が死んでしまった…と思うと涙が止らず、何をどうしたらいいか分からない…。

それでも生きていかないといけない。

水道が通り、ガスが通り、少しずつ人が出てきて、いつの間にか「がんばろう神戸」というのが合い言葉になって、知らない人とも声を交わし、協力して、少しずつ、少しずつ変わってきた神戸。

今街はキレイになっていますし、一見復興したかのように見えます。

でも、現実には高齢の被災者が孤独死をしたり、家の二重ローンを払ったり、復興支援で借りていた家の居住期限が近づいていたり、まだまだ苦しんでいる人がいっぱいいます。

それと同時に、震災後に引っ越してきた人や生まれた子供たちが増えて、神戸市民の4割近くが震災を経験していない…という現実があります。

震災を忘れてはいけない、私たちが語り継いでいかないといけないと思います。

悲惨な状況を語り継ぐのではなく、当時の被災者たちがどれだけがんばったか、人間やろうと思えば何だってできるんだ、小さな事でも幸せなことなんだということを、若い世代の人たちに伝えていきたいと思います。

寒い日に暖房をつけて暖かく過ごせる、水を飲みたいときに蛇口をひねると水が出る、いつでもトイレに行ける、温かいお風呂に入ることができる、夜になったら電気を付けて本を読んだりできる、音楽が聴ける、テレビが見られる、電話ができる、住む家がある、温かいご飯が食べられる、寝るお布団がある…。

普段普通にしていることが全くできなくなった状況下で過ごしたことを忘れてはいけないし、このようなことができるのは幸せなことだと思って感謝しないといけないと思います。

日常生活ではついつい忘れがちですが、毎年この日の地震発生時刻に黙祷をして思い出します。

今年は、東日本大震災の犠牲者の方への黙祷もあり、私も病院にいながら鎮魂と復興への祈りを込めて手を合わせました。

「健膳美食サロン」では、去年は東日本大震災チャリティー講座の受講料全額と、通常セミナーでの収益の一部を日本赤十字社に寄付させていただきましたが、今年も3月のセミナー受講料と物販売上の一部を被災地に届けたいと思っています。

タイプ別の八宝茶のセットを考えていますが、詳細については、改めてサロンの会員の皆さまに告知させていただきます。

なんど見ても涙が出ますが、「しあわせ運べるように」、私たち神戸市民を含む阪神淡路大震災の被災者も、東日本大震災で被災された方々も、1日1日を大切に過ごしていければ…と思います。