漢方と薬膳を学ぶ場の「健膳美食サロン」を立ち上げて、講師としてお仕事をさせていただいていますが、ここまで来るのにいろいろなことがありました。

私がなぜ漢方と薬膳の世界に飛び込んで、伝えたいと思うようになったか…。

「健膳美食サロン」とは何なのか?私はこの先どうするのか?

来年からサロンをもっとみんなが楽しみながら学べる交流の場とできるようにするために、原点に戻ってみることにしました。

まずは、私の人生から…。

公務員の父と専業主婦の母の間に生まれたひとり娘、中学卒業までは優等生でした。

でも、女子からの集団のイジメを受けたりして、未だに女子の集団にはちょっと抵抗があります…。

中学までは優等生でも、思うような高校に行けず、行っても今までみたいにトップクラスにいることはできず、人生最初の挫折を味わい、この頃から体調もおかしくなってきました。

喘息が出だしたのもこの頃。

大学進学のときも必死で勉強したのに、滑り止めの大学まで落ち、ひとつだけ合格したところがあったものの行きたくなく、親に「浪人していい大学に行きたい」と言っても聞き入れられず、仕方なく入学。

何もしなくてもトップクラス…というのもつまらなくて、英会話を勉強してCAを目指すも、バブル崩壊後で、この年だけ全航空会社は採用枠なしという年…。

仕方なく、大学推薦の某都銀の外為に内定をもらうものの、数ヶ月後には「不況のため内定取り消し」の連絡が入って、慌てて就職活動をして安田生命に入社。

営業で会社まわりの日々でしたが、根性は身につきました。

でも、入社した年のお正月のあとに、阪神淡路大震災…。

自宅も半壊、会社の目の前にあった神戸市役所はぺしゃんこになって、今まで見えなかった裏のビルが見える…。

毎日何時間も歩いて通勤していたものの、しばらくして会社への立ち入りも禁止され、大阪支社へ。

神戸に戻ってきても瓦礫の山で、社内のエレベーターも止まり、お手洗いも簡易トイレで、することはお客様の安否確認…。

電話しても訪問しても、悲しいことばかりだし、「こんなときに生命保険会社が来るな!」と言われることもあり、もちろん新規契約などは取れずに収入はどんどん減る…ということで、春に退社。

大好きな神戸の街を見るのが辛くて、比較的被害の少なかった地元の歯科医院に勤めることに。

学生時代にずっと歯医者さんでバイトをしていたので、ラクに勤めていましたが、ここでもイジメ…。

この頃から、胃潰瘍やメニエール病が悪化して、いろいろな病院に掛かりはじめました。

英語を活かした仕事をしようと、外資系企業を受けても最終面接で落ちたり、自分が何をしたいのか分からないまま、たまたま広告で見た大学の学長秘書の面接を受けて合格して、流通科学大学の庶務課で働くことに。

ダイエーの中内氏がご健在のときで、何度もお会いしましたが、経営面で傾き始めた頃、結婚と同時に肩たたきがあり退職。

専業主婦になるのももったいないので、近所の幼稚園の事務員としてパート勤務をしているうちに社員雇用。

順風に進むかと思いきや、家庭では夫からのDVと姑からの嫌がらせなどで離婚、職場も濡れ衣を着せられて解雇…。

実家に帰っても体調はスッキリせず、精神的にもしんどくてしばらくいたものの、「外に出た方がいい」という主治医の言葉で、元々絵を描くのが好きだったから、webデザイナーになろうと思って、教えてもらうことに。

少し知識が付いた頃に、神戸市が情報教育指導員を募集していて、神戸市立高校の教員として生徒たちにホームページの作り方などを教えるように。

契約雇用だったので、契約期間終了後は、ITベンチャーに就職。

ベンチャーだけあって、イケイケの会社で残業で終電は当たり前、徹夜や休みなしの生活は当たり前で、コンビニや外食続きの人とは思えないような生活を過ごして、体調はどんどん悪化するし、精神的にも厳しくなり退職。

その後、社長と二人だけのIT企業に就職して、いろいろ教えてもらったものの性格が合わず、ストレスが溜まる一方で、体調の悪さがピークに。

子宮内膜症と胃潰瘍による大量出血で貧血を起こして緊急入院…。

会社からは「休まれたら困るからゴールデンウィークだけ入院して帰ってこい」と言われ、退院後翌日に出勤するも、倒れて救急搬送…という地獄のような日を過ごし、やっと自分の体に目を向けるようになりました。

完全に手遅れです…。

生理のたびに子供の握り拳大の血の塊が出て倒れ、激痛と闘い、起きて動けるのは月に数日…。

婦人科を何軒まわっても「治せない」で終わりで、何度も母と泣きました。

もう行く病院はない…というときに見つけたのが今の婦人科の先生。

「煎じ漢方薬で治るわよ。でも、3年間がんばれる?」と言われて、「治るなら…」と藁をもすがる思いで治療を受けることに。

私が初めて漢方と接した瞬間です。

「治るって言われたけど、なんで?私が飲んでいるものはなに?」ということで、ネットで調べているうちに、今では古巣となった薬日本堂漢方スクールのワンデーセミナーを見つけて受講。

その瞬間、今まで私が苦しんできたいろいろな病気の原因が見えてきて、すべてを治すことができるかもしれない…もっと勉強したい…と思って、私の漢方の勉強が始まりました。

でも、IT企業を続けながら勉強できないし、正直、小さな会社でのシスアドは心身共にしんどくて、治療もできない…と思って退職して、融通の利く会社に派遣社員として働くことに。

その間に、薬日本堂漢方スクールと北京中医薬大学で漢方と薬膳について学び、自分の過去の病気は何が原因なのかを知り、「同じように悩んでいる人はいるはず。伝えたい」と思って、会社員をしながら、お休みの日にある施設をお借りして、少しずつセミナーを開催するようになりました。

軌道に乗せようと思ったときに、施設側から一方的に「止めてくれ。二度と足を踏み入れるな」と言われ、急遽今の会場を探し、自分で場所を作ろうと決断。

師匠につけてもらった「健膳美食サロン」という名前を屋号とし、個人事業主として完全独立。

うまくやっていける…と思った矢先に、プライベートでトラブルが続出して、身近な人たちの裏切り、嫌がらせなどがあって、パニック発作を起こすように…。

精神的に追い詰められて、自殺未遂を起こしたのもこの頃です。

病状が悪化して、ドクターストップで会社員を続けることができなくなり、治療をしながら、サロン一本で生きていくことに…。

入退院を繰り返しながらも、なんとか乗り切って、今年の春に思わぬところで人生のパートナーとなってくれる人と出会い、これから一緒により良いサロンにしていこう…と決心。

私にとっては、止めようかとまで思ったサロンの建て直し、彼にとっては自分の仕事に私の仕事が加わる第二創業…。

簡単なことではないですが、ひとりですべてを抱えていたことから解放され、心身共にサポートしてくれる彼には本当に感謝しています。

私が今までに罹った病気…

子宮内膜症、卵巣嚢腫、子宮腺筋症、胃潰瘍、十二指腸潰瘍、肺気腫、インフルエンザからの肺炎、マイコプラズマ肺炎、百日咳からの肺炎、心房ブロック、心室細動、心臓弁膜症、喉頭蓋炎、鬱病、パニック障害、過換気症候群、自律神経失調症、メニエール病、甲状腺腫、原因不明の熱、腎機能障害、低カリウム血症、鉄欠乏性貧血、顔面麻痺、突発性難聴、失声症…。

もっとあるかもしれませんが、これらは私にとって今では財産です。

勉強していくうちにすべて原因が分かったし、痛みや辛さが分かるので、ご相談を受けても何が辛いのかがよく分かります。

この中で完治していないものもありますが、経過は良好で、一時は余命宣告まで出たのが、今では落ち着いています。

治せるという自信、治るはずという確信の上に、共に生きていくことを決めたパートナーの存在はとても大きく、公私ともにやっと落ち着く時を迎えられそうです。

「病気の総合商社」から漢方と薬膳のプロへ…。

普通のOLからの転身は簡単ではありませんでしたが、この道を歩ませてくれた方々に心から感謝しています。

特にここまで育て上げてくれた師匠と薬日本堂漢方スクールの先生方には本当に感謝していて、スクールの生徒さんには一切手を出していませんし(サロンに来たいと言われた方はお受けしています)、むしろご紹介でスクールに入っていただくこともあります。

そして、いろいろな病気を経験させてもらって、その都度助けてくれた主治医や中医師の先生方…何をしても改善せず、医者泣かせの病人でしたが、そのお陰で誰よりも弁証をするポイントを経験できました。

痛みと辛さが分かる漢方カウンセラーで薬膳師。

ひとりでも救いたい、中医学の良さを伝えたい、自分はもちろん周りの人を笑顔で健康にしたい…。

私の恩師の言葉に「健康であることが最高の愛情」という言葉があります。

彼に「私は何もできないけど…」と言ったときに、「健康でいてくれたらいいよ」と言われたり、少し体調を崩して「もう大丈夫」と言うと喜んでくれる姿を見ていると、健康でいなければいけない…と思います。

今何かの病気を持っている方は元気になって、元気な方はずっと元気に、家族や周りの人たちを病気にさせない…。

みんなが健康になれば、愛で溢れたサロンになる…。

今は私ひとりが伝え人(びと)となっていますが、そのうち生徒さんから伝える人が出てきて、先輩たちからアドバイスができて、新人さんたちともコミュニケーションを取りながら、みんな元気でHappy&Smileのサロンにしていきたいと思います。

生徒さんから仲間になり、スタッフとなってもらえるように、ひとつひとつのセミナーを大事にして、しっかり伝えて人材も育成していければいいな…スタッフでなくても一緒に活動して、神戸を薬膳の街にできればいいな…と願っています。

サロンはもちろん学ぶ場ですが、交流を深める場でもあり、生徒さんたちが活躍できる場でもありたいと思います。

私は代表ではあるけど、「健膳美食サロン」は私だけのものじゃない…。

そのためにどうあるべきか、これからプロデューサーさんと一緒に考えていきたいと思います。