朝からママさんとおばちゃんと一緒にお墓参りに行って、おばあちゃんとご先祖様に「今年は心配かけてごめん。来年はがんばるわ。」と年末の挨拶。「女の子は笑っとかなアカン。幸せになられへんで。」といつも言っていたおばあちゃん。今年は約束を守れなかった。おばあちゃんは93歳で死ぬまでズボンは履かず、いつもオシャレをしていて、「水戸黄門なんか、年寄り臭くて見れるか!」と、テレビではゴルフ、新聞では株価を見ていた‥‥。ローマ字が読み書きできるのが自慢で、いつも近所のおばあちゃんに「ねぇさんは、すごいなぁ。」と言われてご機嫌だった。そんなおばあちゃんが私は大好きだった。
帰りにおばちゃんの家に寄って、アンディと年末のじゃれあいをした。おばちゃんには、今年は本当にお世話になったので、犬プー(プーさんが犬の被り物を着たぬいぐるみ)の小さいやつをプレゼントした。お返しに、〆鯖と丹波の黒豆をもらって超ご機嫌。
家に帰ってきてからは、おせちの準備。と言っても、大丸で買ったから足りないものだけ。今年はおばちゃんが黒豆を作ってくれたから、私はお煮しめ、田づくり、伊達巻、数の子だけを作った。それでも結構めんどうくさい‥‥。あぁ、しんど。

私の今年の字は、「涙」。本当によく泣いた。2月に数年間続いていた痛みの原因が子宮内膜症と分かり、現実を知れば知るほど辛くて大泣きした。同じように、ママさんと普段から仲のいい母の姉であるおばちゃんも泣いてくれた。それを見るのが辛くて、布団をかぶって泣いた日も多い。
3ヶ月ぐらい毎日夜になると泣いていたと思う。5月の入院のときも夜中一人でよく泣いていた。どうしょうもなくて、人に頼るにもどう頼ったらいいのか分からないし、とにかく痛くて痛くて涙があふれてきていた。
夏は仕事で大トラブルがあって、自分も辛かったけど、社長の辛そうな姿を見てつられて泣いていた。もちろん、その間も痛みは進行中だったけど、痛いなんて言ってられる状況じゃなかった。社長いわく、死人の顔だったらしい‥‥。今考えると、よく生きていたと思う。
夏の終わりに後輩ちゃんができた。よくやってくれるし、今まで全部私にかかっていた仕事を分担できるようになって、ホッとして涙が出た。そのころから私の運気が好転してきた。彼女が救世主かもしれない。病気を理解することができ、がんばっていく決心をした。婦人科の先生やヨガの先生と信頼関係を深めたのもこのころ。
秋以降も相変らずよく泣いてはいたけど、随分と強くなった。今年出会った人は、それぞれ私に大きな影響を与えてくれた。本当に本当に感謝している。もちろん、今年以前に知り合っていた人も、ブログ仲間にもとっても助けられた。
来年は自分の体と向き合って仲良く過ごし、今年お世話になった人たちに恩返しをしていきたいと思う。それと、同じ病気で悩んでいる人ともっと話して、できることなら力になりたい。
さっ、おいしい京都の蕎麦屋さんの年越し蕎麦を食べよう。由来はいろいろあるらしけど、私は「蕎麦は切れやすい。一年の苦労や厄災をきれいさっぱり切り捨てようと食べる。」という説と「蕎麦は一晩風雨にさらされても、翌朝陽が射せばすぐに立ち直る。」という説を信じて食べる。来年はいい年になりますように‥‥。